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LAZY HEAD Classic

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2004-05-27-Thu

_ 戸田

最初は修善寺の「虹の郷」に行って、季節の花々を見ようと考えていたのだけれど、入場料が1,200円もかかると知ってやめた。野っ原に咲いている花を見るのに金を出す習慣は我が家にはない。

そこで西伊豆へ寄ることにして、一番近い戸田(へだ)へ向かう。御浜岬から海越しに富士山が見えるかな、と期待していたが、あいにく霞んでいて見えなかった。

戸田の街は、開いている店は漁協の直売所だけという寂しさで、地元のおじさんに聞くと「魚は獲れるけど、みんな沼津に持ってっちゃうんでね。」とのこと。鄙びた雰囲気はなかなか素敵だったが。

_ 天然

戸田からは海沿いに沼津へ。山がそのままストンと海に落ちこんだような地形だから、漁師出身の老父は心ゆくまで左側に広がる海が眺められて満足そうな顔をしていたし、農家出身の老母は右手に迫る山の新緑が満喫できて幸せそうな顔をしていた。一石二鳥である。私だけはうねうねのワインディングと急なアップダウンの連続に顔をひきつらせていたのだが。

途中で寄ってみた井田は、本当に何もないので唖然としたが、老母は「クロネコヤマトってこんな所まで来るのねえ。偉いわねえ。」と別の次元からの感想を述べていた。天然はこわい。

_ 沼津港

戦前は「ぬまず食わずで沼津まで」という駄洒落があったらしい。途中、三津のあたりでミカンを買って食べたから「ぬまず食わず」とはいかなかったが。

沼津港では「魚河岸 丸天」で昼食。びっくりするほど混んでいたが、びっくりするほど新鮮で美味い魚料理がびっくりするほど安く食べられた。東京の半額ほどか。一食三驚。この辺なら当然のことなのだろうが。

こうなると他の店、「双葉寿司」や「武田丸」「千本一」、おなじみの「魚がし寿司」にも行きたい。えーと、沼津なら120kmくらいだろうから、カブで4時間か…

#行けるの!?


2005-05-27-Fri

_ [NEWS] 多摩の市外局番3ケタに

現在の「0426-**」と「0424-**」が、それぞれ「042-6**」と「042-4**」になるのだそうで、ウチのあたりは来年の4月29日から切り替わるらしい。

なお、だからって市内通話地域が拡大されるわけではないようで、「042-6**」地域と「042-4**」地域相互間では従来通り市外局番が必要になるとのこと。

すると、一足先に3ケタ化された「042-5**」地域も市外扱いになるのかな。

こんなことなら、多摩地域をさっさと「04-」にまとめてしまえばよかったのに。*1

もっとも、携帯電話からでは、どこにいようと市外局番からかけなければならないのですな。まあ、必要そうな所はあらかた入れてあるから、いちいちボタンを押すことはないのだけれど。

*1 「04-」を埼玉に取られて少し悔しい。

_ シアワセな人

老父に「ウチも市外局番が3ケタになるんだってよ。」と言ったら、

「おお、番号が1つ少なくなるのか。」と。

_ タイのアイドル?

前に「ムクデン満鉄ホテル」のレポートを書いておられたずんころさんの日記から。

うーむ、角度によるのかもしれないけれど、感じとしては堀越のり。

それだけでも日本的感覚からすれば微妙なんだけど、野際陽子さん(今の!)も入っているような。

まあ、タレントさんではなくてアスリートさんだから、こんなものだろう。*1

*1 本文中にさりげなく語られているツッコミが好き。

_ 関連項目*2

バルセロナオリンピック(1992年)の頃だったでしょうか、ラジオで田村亮子選手(当時)の話題に触れて、パーソナリティが放った一言。

「マンガの柔ちゃんは一足先に金メダルを獲りましたが、本物のヤワラちゃんはどこまで行けるでしょう。活躍が楽しみです。」

うーっ、誰が「本物」だって?

事実誤認にも程があるっ!という事例。

*1 本来ならばトラックバックすべきですが、ケータイからではできないので。これを我々は「トラバーの波に乗れない」と呼んでおります。(違

*2 本来ならばトラックバックすべきですが、ケータイからではできないので。これを我々は「トラバーの波に乗れない」と呼んでおります。(違


2006-05-27-Sat

_ 101回目の記念日

あいにくの雨。

最近の土日は雨が降っていることが多いか、または「雨です」と予報されたから、そのつもりで昼まで寝ていて起きると晴れだったりとかで、要するにどこにも出かけていなかったりするわけで。

去年の今日は100周年ということで、比較的盛り上がっていた記念日も、今年は世間からすっかり忘れ去られたかごとくにひっそりとした感じ。

昭和の海軍は論理よりも感情、理性よりも衝動、知性よりも蛮勇を重んじたためにわざわざ自滅の道を選んだばかりか、内外ともに多くの人々を巻き込んで不幸な目に遭わせた、ある意味人間のクズ、と言ったらクズの方が怒り出しそうなくらいのクズ未満どもが軍服を着ていたような連中だったけれど、明治の海軍は、そういう点ではまだまだ理性と良識があったように思う。良い意味での「武士道」の発露というか、日本と言う遅れた三等国が国際的な信用を勝ち取った(戦争と言う行為を通じてだが)のは、明治海軍の厳格な自律精神と礼儀正しさに負うところが大きいと思っている*1

それもこれも一緒くたにして記憶の彼方へ押し流して蓋をしてしまったのが戦後の日本だが、「ひたすら卑屈に、頭を上げず、相手の強硬な主張には腰砕けで」臨むのが外交だと考えている今の日本には、「101年前にこんなすごいことをやったのですよ」という記念をこめて、独立国家としての誇りと矜持を思い起こさせる意味でも三笠艦を顕彰することから始めることすら、許されなくなっているのだろうか。

*1 日本海海戦での鮮やかな完勝が、惨勝に過ぎなかった日露戦争の実態を覆い隠すのに利用され、昭和海軍の夜郎自大化につながっていったのは皮肉としか言いようがないが。


過去の日記
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