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LAZY HEAD Classic

半期 四半期 全カテゴリ


2002-10-28-Mon

_ 中央大学

試験会場の案内には「多摩都市モノレール『中央大学・明星大学』駅下車徒歩1分」とある。集合は12時30分で、電車は12時14分の到着だから、キャンパスを歩いて校舎に入るまでの時間を考えても10分前には席に着けるな、余裕余裕。と、水も漏らさぬ完璧な計算。

…まさか15分もかかるとは思わなかったけどね(笑)。さすが中央大学って広いんだなぁ。


2004-10-28-Thu

_ この秋一番の冷え込み

午後になってから買い物に行こうとカブに乗って出た。半袖Tシャツの上に長袖Tシャツ、さらにユニクロのフリースの上に綿シャツを着た上から厚手のフリース(プルオーバー)の5枚重ねで、いささか過分かな、と思ったら、それでも寒かった。日向は少しマシだが日陰に入るとガタガタ震えてしまうくらいで、自分はそれほど寒がりとは思わないけれど、とにかく風が冷たい。あわてて戻ってナイロンのジャンパーを引っぱり出したら、ナフタリン臭かったのには閉口したが。

東京でさえこうなのだから、新潟はどんなだろうと思う。

_ 48時間

外務大臣が「理解に苦しむ」だのなんだの言おうが、そんなことはどうだっていいですが、あの宮嶋茂樹さんをして「イラクはとても旅感覚で行くところではない。」と言わしめたほどの状況のイラクへ、どうして行ったですか?

_ 温度差

今日のテレビ欄で関係箇所を全部書き出してみる。(番組名は省略、改行箇所は適宜手を入れた)

○NHK総合

「4日ぶり男児救出」「男の子は土砂の中で生きていた・4日ぶり救出された」「地震発生から4日ぶり救出された優太ちゃんは」

○日本テレビ

「決死の救出男児生還母無念…耐えた4日間」「不明の母子3人を発見①優太ちゃん救出の一部始終②真優ちゃんは?夜の救出劇③その時父は涙」「緊急中継/崩落現場から母子発見4日ぶり男児救出①母死亡…悲劇と奇跡/娘は…②人命探査装置シリウス」「救出…余震の中、決死の活動/不明の母子3人を発見/優太ちゃんの容態は」

○TBS

「不明母子地震発生から5日目に土砂の中から長男救出」「地震奇跡の生存と無念の死/母子・土砂の中の4日間/避難も続く」「土砂の中から男児救出/母娘は…」

○フジテレビ

「不明母子奇跡の救出/長男は無事・続く余震」「2歳男児奇跡の生還①土砂の中93時間…母は無念の死②またも震度6…崩落おそれの中決死の救出」「引き裂かれた母子の絆/土砂崩壊…悲運の現場/生還…2歳優太君は今/発生6日目新潟被災地」

○テレビ朝日

「不明母子の長男救出」「4日ぶり”車中から命の叫び”2歳男児を奇跡球種湯・不明母子3人の明暗…」「土砂の中93時間…優太ちゃん奇跡の生還・必死救出の一部始終」「新潟土砂崩れ下から幼い命/優太ちゃん救出劇全容/余震は絶え間なく続く」「悲劇と奇跡と…その時何が起きていたのか?車内に90時間以上も…壮絶な母と子の戦い」

あおり文句とは知りつつ、困難な作業をやり続けた救出隊員達の姿や、救出されたいたいけな男の子の姿を見ると、こうして書いていても目頭が熱くなる。

一方、

●NHK

「イラク邦人拘束続報」

●日本テレビ

「迫る期限イラク人質」「速報イラク人質」「せまる期限日本人拘束」

●TBS

「イラクで日本人人質/武装グループの要求は48時間以内に自衛隊撤退」「イラク日本人人質事件」

●フジテレビ

「日本人人質猶予1日」「イラク日本人人質」

●テレビ朝日

「イラク邦人拘束波紋」「イラクで人質…現地で会話知人生出演」「イラクで日本人拘束48時間の期限が迫る…」

この温度差は何だろう。

_ 争奪戦

ちなみに、テレビ朝日の「スクランブル」(11:25〜)での「イラクで人質…現地で会話知人生出演」は、その知人こと映画監督の四ノ宮浩さんは出て来なかった。番組内では「ご本人の都合で出演していただくことができませんでした。代わりに事前に収録したインタビューの模様をお送りします。」と詫びていたが、なぜ「ご都合が悪かっ」たのかというと、TBSの「とってもインサイト」(12:00〜)に生出演していたから。

六本木では社内の責任問題になるんじゃないかしら。

_ 謎の略称

NHK教育の欄を見ていた。前にも不思議に思ったから書こう書こうと思っていたのだけれど、忘れていたこと。

4.30 わんパーク ばあ▽プチ▽モリゾー▽ぴりっと▽5.00からだ▽英語▽20 ひとり▽絵本▽ピタ▽日本語▽50クインテット

(筆者注:数字は時刻)

まったく謎だらけの略ではある。なんとなくわかるものもあるが、やはりいつも見ている人でなければわからないだろうし、いつも見ている人だけがわかればそれでいいのだろう。

_ [NEWS] またか

故人をあげつらうつもりは毛頭ない。が、外務省がまた悪事を働いて私腹を肥やしているのを見ると、亡き奥大使は本当に優秀な人だったのか?と疑問に思う。

だって、外務省で「優秀な人」って、国民の税金を私したり、業者から巻き上げたりして一財産築けるくらいの才覚がある人のことを言うのでしょう?

だから亡き奥大使は、ちょうどイメージダウンになる事件を次から次へと起こしていた外務省にとって、墜ちたイメージを回復するのにおあつらえむきの材料だったのだ。いわば「作られた英雄」なんじゃないかと思う。

それとも、亡き奥大使だけが「優秀な人材」で、後の残りは全員クズなのだろうか。クズと言って悪ければ、「クズ以下」だが。

北方領土問題、尖閣諸島問題、竹島問題、日本人拉致問題をはじめ、中国の反日政策や内政干渉にもロクに対応できず、公使の車を壊されても犯人を逮捕させることもできず、国威と国益を損ねるようなことばかりしているわりには、と言うか、内で私腹を肥やすようなことにばかり血道を上げているから、外交問題みたいなどうでもいい仕事なんか処理しているヒマなんてないのか。そういうことか。

そういう連中のことを「国賊」と呼ぶのであります。

_ 今日のカブ

42,976.7粁。


2006-10-28-Sat

_ 青いイナズマが

越中!

…ちょっと言ってみたかっただけなんです。すいませんすいませんごめんなさい嘘です大嘘です僕という下等生物の世迷い言なんです。

ああ、寝台車で飲むお酒って、どうして美味しいんでしょう。

上野駅の売店で買った黒田苑*1が美味しくて、いい気分になったおかげですっかり調子づいてしまい、「早く寝なければ」と思いながらもついつい一緒に買った冷酒300ml(どこのだか忘れたけど)まで空けてしまった。酔っぱらうと見境がつかなくなるので、タバコを吸いに下へ降りるのも気にならなくなる。

窓の外を眺めながら一服するのはなかなか至福の時間ではある。夜だからよく見えないけど。

それでも酔いの方が勝ったらしく、富山到着を知らせる車内放送で起こされたくらいだからちゃんと眠れたのだろうが、やはりなんだか寝不足気味ではある。

5:33富山着。次に乗る6:03発の高山本線猪谷行は同じホームから出るから、そのままぼんやり待っていたら、いつの間にか客がずいぶんと増えていた。大阪行の特急に乗る人もいたようだけれど、富山の人は早起きのようだ。もしまる1日大阪で遊ぶつもりなら、6時過ぎの特急に乗っても着くのは10時過ぎだから、朝が早いのは仕方がないのかもしれないけど、休みの日には昼まで寝てる私からすれば、その元気には頭が下がる思いだった。

*1 商品ラインナップには無い。

_ 高山本線

今回の「北陸ロード」、最初は金沢近辺の私鉄を乗り倒した後で福井まで足を伸ばし、えちぜん鉄道にも乗ってくる予定だったのだが、時刻表を見ると、神岡鉄道が11月30日までの営業と書いてあるので、あわてて予定に組み込んだのだった。おかげで福井まで行く時間はなくなってしまったのだが…

高山本線に乗るのもずいぶんと久しぶりで、沿線の風景もまるで記憶になかったのだが、ほぼ並行する国道41号線がなんとなく楽しそうに見えた。一度走ってみたいなあ。ショートカットを考えなければ一度名古屋まで出なければならないのが大変そうだが…私の腕では名古屋で1泊、富山で1泊、新潟で1泊の3泊4日は必要そうだから、走れる日は来るだろうか。

_ 神岡鉄道

高山本線猪谷駅。

鉄ヲタども鉄道教時刻表派の聖典である『時刻表2万キロ』の冒頭に、この駅の描写が出てくる。

聖典の中では神様が最初に降臨したもうた駅だが、のちの間藤駅ほどの聖地扱いはされていないらしい。先を急ぐ善男善女の波に押されてホームの隅に停まっているレールバスに乗り込んだ。

7:05発車。席取りにあぶれた立ち客まで出ているくらいだからローカル線にしては結構な乗車率で、毎日このくらいのお客がいれば廃線の憂き目を見ずにすんだだろうに、と思う。それにしても外の景色が見えないし、第一寝不足だから、乗っていてもあまり面白くない。大枚はたいてこんなオチではどうにもやるせない。

7:36奥飛騨温泉口着。いい天気でよかった。そのまま折り返し8:10発。帰りの車内は登山客が多かった行きと違い、行きの車内で見た人達ばかりだった。つまり鉄ヲタ信仰を同じくする教徒の方々であろう。

今度は空いているから外の景色がよく見える。高原川の深く切れ込んだV字谷を貫くように走っているから、トンネルを抜けて橋を渡ると山肌が壁のように迫ってきて目を奪われる。坂を転げ落ちる感覚で山を下っていくのもなかなか楽しかった。

前言撤回。神岡鉄道、面白い。

紅葉にはまだ間があるようだが、全山真っ赤に染まったらさぞ壮観だろうな、と思う。その素敵な時期に来ることはないわけだが…もっと早く気がついていればなあ、と後悔しても、もう遅いのだった。

気分は良くなったのに、残念ながら神岡線とも8:40猪谷着でお別れとなった。

_ 猪谷駅

さて、猪谷へ戻ってきたまではよかったが、それから先の接続がよくない。次の富山行きは9:11発。30分もある*1。ダイヤ改正前ならば9時前に1本あって、それならば富山から先の接続も面白いように良く、あまり時間を無駄にしないですむのだったが…

そこの人っ!「そんなことしてること自体が時間の無駄じゃん」とゆーツッコミは禁止っ!

ホームは風が強くて寒いので、停めてあったキハ120を勝手に待合室代わりにする。聖典にも「食事は周囲に人がいない時に済ませるのがよい」とあるので、み教えに従い無人の車内で遅めの朝食。いや、たまたま誰も乗っていないから勝手に待合室にしたのだけれど、すると後からぞろぞろと乗ってきたので、無人というわけにはいかなかった。

昨夜の上野駅で買った握り飯を食べながら聖典をひもどく。場所はここ、猪谷での神様の失敗談が書かれている。この時は、まさか自分がなんだか似たようなことになるとは知るよしもなかった。

*1 代行バスの接続と関係ありか?

_ 北陸鉄道浅野川線

富山着9:56、すぐ10:07発の「サンダーバード20号」に乗って6号車自由席でタバコをブカブカふかしているうちに10:44金沢着。次に乗る北陸鉄道浅野川線の発車は11:02だから時間はある。と言うか、上でも書いたように接続が悪くて待ち時間が多い。もちろん、時間があるからと言って別に何をするわけでもないけど。

だから、再開発で新装なった金沢駅東口を見物するわけでもなく、その一環で地下化された北鉄金沢駅にも注意を払わず、「あー、車両は昔井の頭線で走ってたやつかなあ」と思ったくらいで、11:19に内灘に着いても、11:32に折り返しの電車が発車するまで駅前でぼんやりしていた。

_ 北陸鉄道石川線

11:49に北鉄金沢に戻り、12:15発の北陸本線344Mに乗るまでに金沢駅の立ち食いそばで昼食をすませ、1駅乗って西金沢で下車。

北陸鉄道石川線の新西金沢駅はJR接続駅とは思えないほどのショボさで、「たまたま近くに国鉄があったからしょーがなく作ってみました」という居直りすら感じられる。そこから12:28発の上り電車で野町へ行く。4分ほどで到着。野町は1面1線ながらバスターミナルを併設した*1立派な駅で*2、北鉄がどこに力を入れているかわかったような気がした。

最近は地方の中小私鉄でもネットで簡単に時刻表が手に入るようになって、計画を立てるのがずいぶん楽になった。今日の行程もその各線各駅の時刻表がなければ実施はおぼつかなかった。が、それとダイヤは無関係だから、次の加賀一の宮行きまでには30分以上もある。バスターミナルの待合室でぼんやりとして待つ。

すると、そこへ品の良さそうな老婦人が来て、「バスで武蔵ヶ辻へ行くにはどうしたらいいんでしょう。」と尋ねる。野町から市内各方面へ向かうバスは鉄道線との接続が考慮されているらしく、電車が着くと数分後には発車するから、まごまごしていると取り残されてしまうこともあるようだ。そういうわけで、バスも来ないのに待合室でぼんやりしているのは私の他には誰もいないのだった。いや、その時点で地元民じゃないことに気づいてくれよ、って、そりゃ無理か。

あ、そういえば、昨晩上野を発ってから、車掌さんやお店の人を除けば初めて他人と会話したな。

ようやく改札口が開いて、13:06発車。途中の鶴来で「菊姫」の看板を見て、「おー、ここだったのか」と感心しながら加賀一の宮着13:41。「白山神社表参道徒歩5分」とあったが、表参道まで5分という意味だろうから参拝は断念、折り返して13:59発。西金沢には14:28に着いた。きれいなパターンダイヤではある。

*1 たぶん、関係は逆なのだろうが。

*2 比較の問題

_ 幻の加賀美人

昔から言いますな。

京美人から始まって、福井を飛ばして加賀美人、富山を飛ばして越後美人、山形を飛ばして秋田美人と。

えええーっ!?

金沢には4時間ほどいたけれど、「美人」なんて1人も見なかったですよ。「昔は美人」という人も皆無だったんですけど。

#俺が来るから隠したのか?←妄想

西金沢ではたまたま下校時間帯に当たったらしく、乗り合わせた女子高生の一群に囲まれたものの、聞こえてきた会話といえば…

「ウチらのクラスってぇ、ノリ悪いやん、あんま面白くないよねー。」

えええーっ!?、キミら揃いも揃ってそんなに面白い顔してるのにい!?

もったいないなあ。大阪に連れてったら吉本が放っておかんよ、きっと。

…と、心の中だけでツッコミを入れておきましたとさ。

_ 万葉線

西金沢発は14:37で、金沢着14:41。14:52発の特急「しらさぎ7号」で高岡着15:15。駅前ロータリーの反対にある電停で万葉線の電車を待つ。15:30発車。

路面電車の楽しさは、町並みが電車からの視点で作られているからだと思う。商店の看板も、電車の窓からならよく見える。都電の廃線跡を歩いた人が気がついたことのようだが、ここ高岡でも古き良き時代の町並みがまだ生きていた。最近の新しい建物はむしろクルマ向けだから、あまり考慮されていないのが統一感を欠いてしまって残念だ。

併用軌道から専用軌道に入ると、路盤が弱いのか揺れが激しくなり、進行方向後ろ側の床下からドスン、ドシンと、あまり聞いてはいけなさそうな音が響いてきた。台車が床をぶっ叩いている音に聞こえるのだが…16:11越ノ潟着。

16:15発の同じ電車で折り返す。例の音は今度は進行方向前側の床下から聞こえるわけだが、運転士が平気な顔をしているのだから大丈夫だろう、と思い込むことにする。エエ、ボクハナニモキキマセンデシタヨ。

_ 富山ライトレール

16:56高岡駅前に戻り、17:14発の特急「北越7号」で富山着17:25。7時間18分ぶりに帰ってきた富山で、これから最後の1線に乗らなければならない。富山駅北から出ている富山ライトレールである。日没後なのであたりはすっかり暗くなってしまっているが、JR富山港線時代に乗っているので、外が全然見えなくても少しも気は咎めない*1のだが、富山駅北では妙なことになった。

「北越7号」の富山着が17:25で、富山ライトレール岩瀬浜行きの発車が17:30。地下道を急ぎ足で歩いて2両編成のトラムが待つ乗り場に着いたのだが、ドアが閉まっている。「ボタン式だろうか」と思いながらドアの周りを探すが見つからない。もちろん、ドアを押しても引いても開くものではない。途方に暮れていると、気がついた車内のお客が身ぶりで「反対側へ回れ」と言っている。そこでようやく合点した。乗り口は左側だったのだ。

やれやれ、えらい恥をかいてしまった、と左側へ回りこんだ時、あろうことか目の前のトラムが音もなく動きだしたではないか。要するにまごついているうちに乗り遅れてしまったわけだが、取り残された私には、車内から怪訝そうな視線と哀れみをこめた視線と冷ややかな視線が突き刺さってきて痛かった。

しかし、富山港線に乗り遅れるとは、朝読んだ神様の失敗談になんと似ていることか。「これでまた一歩神の領域に近づいた」と喜んでみるが、自己欺瞞にすぎないからやっぱり虚しい。

さて、ここで一計を案じた神様は、タクシーを拾って岩瀬浜へ先回りをするという暴挙に出るのだが、そこはそれ、トラム化されてからは運行本数が格段に増えているので、30年後の未来人たる私は、わずか15分待てば次の列車に乗ることができる。ここで1本遅らせても、その後の乗り継ぎには影響しないような予定にしてもある。というわけで、今日何度目かわからないぼんやりをしながら待った。

ちなみに、未来人だからといって、「ここ、どこですか?なんであたしこんな所にいるんですか?」などとヨモスエなことを口走ってはイケナイ。禁則事項である。

18:09岩瀬浜着。駅前はすっかり様変わりしているが、行くべき所もないのですぐ戻り、18:16発。

*1 聖典より引用。

_ 特急「はくたか23号」

18:40富山駅北着。勝負は終わった。あとは18:59発の特急「はくたか23号」で20:59越後湯沢、21:10の上越新幹線「とき350号」で上野到着22:22と完璧なスケジュールだ。

ホームに上がり、駅弁を買おうとしたら、夜7時前だというのにもかかわらず、どの売店も「駅弁は売り切れです」などと言う。うーむ、もし富山ライトレールに乗り遅れていなければ駅弁にありつけたのだろうか。まあ、車内販売くらいはあるだろうから、それでお弁当がなくても酒とツマミで何とかなるさ、と気軽に考えて乗り込んだ。

車内の半分以上は同じ富山から乗ってきたツアーの団体さんで、私の後ろ、車両再後部の席には添乗員さんが座っている。すると、私の席はもともとこの団体さんの予約席だったのが、キャンセルでも出たのだろうか。もしこの席が空かなかったら今回の「北陸ロード」はご破算になるところだった。どこのどなたか存じませんが、キャンセルしてくれてありがとう、と、妙なお礼を心の中で述べておいて、富山駅の売店で買った「銀嶺」のふたをあけるのだった。

_ 総括

わー、プリンタ代が切符に化けてしまった…年賀状の印刷どうしよう。


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