joeから電話がきた。
「ひま〜?」
あまりにもノーテンキな第一声に思わず、切れた。つい3日前に「これこれこーゆー理由で忙しいのだ。」と教えておいたのだが、奴は酔っぱらっていたのでまるで聞いていなかったらしい。
だから酔っぱらいはキライだ(笑)。
星新一が学生時代にカンペを作ろうとしたら、作る過程で凝縮されてすべて頭に入ってしまい、結局使わずに済んだ、という話を思い出した。要は集中力が大事ということなのだが、そんな芸当は星新一だからできることであって、凡人には及びもつかない話ではないかとも思う。
…私はいっぺん知能テストを受けた方がいいかも。
「ラスト・エンペラー」のサントラを聴きながら勉強していたら、突然キアヌ・リーヴスのシッダールタが見たくなったので、「リトル・ブッダ」のビデオを引っ張り出して流しておいた。
「弦は張りすぎると切れるし、緩すぎると役に立たない。」
ビデオを流す直前に、同じようなことを自分で書いていたので、その符合に少々驚く。まさしく天啓である。有り難や、御仏は見捨て賜わず。と思ったら、俄然やる気が湧いてきた。南無。
ただ、この半年間、どうも緩い方に傾いていたのではないか、という気もしないでもないのだが(苦笑)。
試験会場の案内には「多摩都市モノレール『中央大学・明星大学』駅下車徒歩1分」とある。集合は12時30分で、電車は12時14分の到着だから、キャンパスを歩いて校舎に入るまでの時間を考えても10分前には席に着けるな、余裕余裕。と、水も漏らさぬ完璧な計算。
…まさか15分もかかるとは思わなかったけどね(笑)。さすが中央大学って広いんだなぁ。
恭賀新年 初春の御慶芽出度申納候
こんな馬鹿氣た事はない、人間の感情は或事物に接觸して起るのであるに、其感情を十日も二十日も前に表示するのは、全く虚僞の表情である、十二月初旬頃から發賣する雜誌の卷頭に「恭賀新年」だの「お芽出度」などの大文字を印刷したり、又官の奴等も「年賀郵便は十五日から」などと廣告して、所謂「活版刷」のエセ賀状を集めて居るが、一月一日に發すべきものを早く出して置いて、其間に死んだ者もあつた、新年が芽出度どころか、己れは節季にクタバツテ居るといふ有様、これは呆れが禮に來ると云ふより外はない
そこになると、昔の人は堅かつた、年始には裃で廻禮し、賀状は新年になつてから、筆硯を淸め若水を汲んで書いたものだ、「一年の計は元旦にあり」と云ふのに、新年早々ウソツキの挨拶をするやうに成つたので、世間は滔々と虚僞に流れるのである
[宮武外骨主筆『スコブル』第三号(大正六年新年号)の社説。(赤瀬川原平著『学術小説 外骨という人がいた!』)より引用]
これが載っているページをそのままコピーして、プリントゴッコで実際に年賀状にしてバラまいたのは、10年くらい前だったかなぁ…あの頃は、若かった(笑)。でも、70年以上も前にこんなことを書いていた人がいたのを知ったときは、嬉しかったものです。乗らなくなったCT70を、ショップに引き取ってもらうことにした。カスタム小僧ならヨダレを垂らして飛びついてきそうなカブだから、高く売ろうと思えば売れたかも知れないけれど、その類の小僧には乗って欲しくはないのだ。ショップの方でも代車要員がなくて困っていたそうだから、第二の人生にはちょうどいいだろう。タイヤとチェーンを除けばほとんど純正品ばかりでカスタムしたから、中にはもう手に入らない部品もあるかと思うとちょっと惜しい気もするが(笑)。