おう、そう言えば14時から始まっていたんだった。
というわけで、14時10分から見る。
…まあ、この手の番組は「旅行の途中」ではなく「着いた先で何をするか」がメインだからどうしようもないけれど、それにしても開始わずか10分(OP、CM込み)で札幌に着いてしまっていながら、こういう「羊頭狗肉」な看板を掲げるような作り手を、私は信じない。
東名高速で12歳の女の子がバスの窓から転落した事故で、警察は轢いた車両の特定を急いでいるというけれど、それはそれとして、轢いてしまった側から見れば、そりゃ走行中のバスの窓から人が落ちてくるなんて考えないよ、普通は。いくらクルマを運転する以上はあらゆる事態を想定していなければならない、とはいえ、「高速道路上に人はいない」のが約束事だし、走行中のバスの窓から人が落ちてくることに対する危険予測まで要求されているわけではないだろうから、轢いた方だってビックリしたじゃすまないほど驚いたに違いない。もちろん、そういう場合でも負傷者の救助はちゃんと行なうべきであることは、理屈の上ではそれとは別の問題ではあるけれど、あり得べからざる事が起きた時、その場に居合わせた全員に冷静な対応を求めるのは難しいんじゃないかと思うけどな。それに自分が轢いたのが何だったのか、はっきりわからないまま走り去ってしまった人もいるんじゃないだろうか。もし自分がそこに居たとしたらどうしていただろう、と考えてみたが、容易に結論は出せなかった。捕まえられる人も気の毒なことだと思う。
yoppee!から「飲みいこまい。」と入電したので、急遽ひばりケ丘へ。いつもならクルマかカブで来るから、珍しいこともあるもんだ、と思っていたら、
「昨日、今日は中山で競馬があってさ、そのおかげで昨日なんか大渋滞で、だから今日は鉄道にしたんだ。」と言う。なるほど、それなら飲める道理だ。
大改装なったひばりケ丘の駅で待ち合わせ、駅の出入口から徒歩10秒、階段25秒(遅いか)の「南蛮屋」に入る*1。
後から呼んだska氏も合流して、3人で楽しく飲んだ。なんとなくだが、yoppee!は3年くらい来ていなかったのではないだろうか。もっとも、yoppee!は印象が強烈だから、マスターは覚えてくれていたみたいだけど。
いつものように「トマトベーコン」は美味い。他には「わさび」と「梅しそ」が好きな私だが、初めて食べた「ぼんじり」も美味かった。
とりとめのない話の中で「衣笠の『五龍』に行きたいねえ。ska氏、行かない?」と言ったが、もし行くなら早めに行きたいなあ。
r:「焼餃子つつきながら白乾児でも飲んで、水餃子でしめるといいかもよ。」
s:「帰りは結構時間かかるんじゃない?」
y:「どこかで一泊して、次の日は横須賀で海軍カレーでも食って帰ろうや。」
r:「そう考えると、三浦半島って結構遠いよなあ。」
『京急時刻表』でも買って、日帰り計画でも立ててみるか*2。
「門19」は、過去に品川駅東口−門前仲町を結んでいた都営バスの路線。上記の「海01」系統の前身にあたる。
学生時代はヒマつぶしによく乗りに行っていた。なお、学校も自宅も城南方面にはない。西武池袋線沿線だから、本当にヒマつぶし以外の目的で来ることもない。
最初に乗ったのは、子供の頃に笹川さん家「船の科学館」で開催されていた「宇宙博」に行ったときのことだった。もちろん、当時は品川駅−船の科学館を結ぶ臨時バス、今で言えばシャトルバスということになるだろうか。*1
なーーーーーんにもなかった品川駅の東口で、炎天下の中、大行列した段階で気分はすっかり萎えていた上に、乗り込んだというか乗り込まされたバスは通勤ラッシュ並みの超満員だった。子供だから押しつぶされて死ぬかと思った。
着けば着いたで、館の横にあった戦艦大和のでっかい模型に驚いた程度で、180度の円周巨大スクリーンの映画を見て「乗り物酔い」を起こしてしまった(笑)ことと合わせて、他に何を見たかはあまり覚えていない。まあ、それはどうでもよい話だけれど。
こうして「門19」系統は、もともとがシャトル便だった経歴から、品川駅東口−船の科学館の便も設定されていた。というか、船の科学館止まりを豊洲・門前仲町方面の路線と統合して生まれた系統だったのかも知れない。
なーーーーーんにもなかった品川駅の東口は、その後、ぽつぽつとなにかしらできてきたけれど、それでも今からでは想像もできないほど場末た雰囲気の所で、戦後のバラックがそのまま成長したような一画がいきなり駅前にあったりする、日が暮れてからはあまり近寄りたくないような印象だった。
その雑然とした一画を抜けると食肉市場があり、旧海岸通の商店街を走って今の天王洲アイル駅の先(もちろん、当時はそんなものはなかった)で京浜運河を渡ると、目の前に広がる一面の荒野。2つ並んだ火発の前は、道は広いし交通量も少ないので、バスも思いっきりぶっ飛ばす。都バスだけに。
交通量は少ないが、重い車両が多いのだろう、路面はかなり荒れていて、バスがスピードを出すと上下に揺れる。今思えば苦情が出そうな運転ぶりだが、その後何度も同じ目にあったから、苦情はあまり出なかったのかもしれない。なにせ、お客そのものが少ないのだ。
八潮で高速湾岸線に入り、東京港海底トンネルを全力疾走して再び地上に出ると、そこは13号地。「お台場」ではない。「13号地」である。バス停の名前も「13号地海底トンネル入り口」と、身も蓋もない。背の高い草がぼうぼうと生い茂っているが、それ以外には、何もない。
まさか東京都内で「見渡す限り何もない」、北海道でしか見たことがない荒野が広がっているとは思わなかったから、この演出が大好きで乗っていたような気がする。有明テニスの森から先は立て込んできてあまり面白くなくなり、豊洲付近で飽きて途中下車して帰ったことも何度かあったけれど、たいていは終点の門前仲町のにぎやかな雰囲気を味わってから地下鉄で帰っていた。
たまにはそのまま折り返しの品川行きに乗ったこともあったのだが。
やはり13号地の何もなさに魅かれて乗っていたのだな。とにかく、空が広かった。
中途半端な開発なんかしないで、あのまま放置しておけば、今頃は別の意味で「名所」になっていたかもしれないなあ。
*1 歳バレバレ。
48,377.8粁。