今日は天気もよく、暖かい1日。配達で住宅街を回っていると、あちこちで猫が日なたぼっこをしていた。塀の上、川っぺりの遊歩道のアスファルトの上、小さな雑木林の日だまりの中…近付いてくる人間には目もくれず、気持ち良さそうにうずくまっている。中でもバイクのカバーの上は、人気スポットの1つらしい。居心地も良さそうで、ちょうどいい位置だったからちょっとからかってみたが、面倒臭そうに頭を上げてそれっきり。どっぷり幸せにつかっているのを見て、それ以上のちょっかいはあきらめた。ちょっと羨ましくもある(笑)。
中島みゆきの『やまねこ』なら好きだけどね(笑)。
歌詞が凄惨で、その凄惨な歌詞のどこまでが"自叙伝"になっているのかは想像に頼るほかはないけれど、この人の幸せって一体どこにあったんだろう、と余計な詮索までしてしまう。
知り合いにも一人「山猫」みたいなのがいて、奴もこの詞を書いた当時の"みーさま"と同じ年代にいるはずなのだが…やめておこう(笑)。余計な心配だから。
夜になって、暗い安アパートへ配達に行くと、足元になにやら妙な物体が。プラスチックの先から毛の固まりが生えていて、中間に布きれが巻いてある。よく見ると、毛の固まりは猫の体らしいのだが、頭がない。よくよく見ると、首から上にはプラスチックの板をラッパ状にして巻いているのだった。うまく表現できないが、正面から見るとメガホンの中に猫の顔があるような感じ。これにはちょっとゾッとした。飼い主の呼ぶ声がしたからそこの飼い猫なのだろうが、これっていったい何だろう。
カメラ付きケータイは持っておくべきかもしれんなあ。
最近は何かあると必ず精神鑑定をやるみたいだけど、それって何か意味があるのかなあ。
鑑定結果がクロと出た場合、「責任能力がないから罪には問えない」と結論づけることは、加害者には「お前は犬畜生と同じだ。」と言い、被害者や遺族には「犬に噛まれたと思って。」と言っているのと同じではないか。それのどこに「人権」の二文字が入る?
もうそろそろ、そういうおためごかしというか、加害者の保護のみをもって良しとする偏跛な制度は見直すべきではないのかな。
「人権派」を自認する人達は「そこを守ることこそが大事」と言うだろうが、それは単なる自己満足でしかないのでは。自慰行為を公然と行うなんて、そんな破廉恥なことにつき合う義理はない。