恭賀新年 初春の御慶芽出度申納候
こんな馬鹿氣た事はない、人間の感情は或事物に接觸して起るのであるに、其感情を十日も二十日も前に表示するのは、全く虚僞の表情である、十二月初旬頃から發賣する雜誌の卷頭に「恭賀新年」だの「お芽出度」などの大文字を印刷したり、又官の奴等も「年賀郵便は十五日から」などと廣告して、所謂「活版刷」のエセ賀状を集めて居るが、一月一日に發すべきものを早く出して置いて、其間に死んだ者もあつた、新年が芽出度どころか、己れは節季にクタバツテ居るといふ有様、これは呆れが禮に來ると云ふより外はない
そこになると、昔の人は堅かつた、年始には裃で廻禮し、賀状は新年になつてから、筆硯を淸め若水を汲んで書いたものだ、「一年の計は元旦にあり」と云ふのに、新年早々ウソツキの挨拶をするやうに成つたので、世間は滔々と虚僞に流れるのである
[宮武外骨主筆『スコブル』第三号(大正六年新年号)の社説。(赤瀬川原平著『学術小説 外骨という人がいた!』)より引用]
これが載っているページをそのままコピーして、プリントゴッコで実際に年賀状にしてバラまいたのは、10年くらい前だったかなぁ…あの頃は、若かった(笑)。でも、70年以上も前にこんなことを書いていた人がいたのを知ったときは、嬉しかったものです。